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いつも残業を申請せずに残業をする人がいるから「残業代をつけたほうがいいですよ」と言った。

『あまり仕事ができないので....』と返事が返ってきた。

こういう些細な我慢の積み重ねで人はだんだん生きづらくなっていくんだろうなと思った。

毎日朝早く眠いと思いながら時間通り仕事をして、眠いからミスをして評価が下がって身体的にもキツいのに加えてメンタルもやられる。

毎日遅刻して怒られるけど、ちゃんと寝てるからメンタルが多少下がっても身体的には元気。

メンタルが弱くなる理由は我慢をしてしまうからで他人に干渉しない範囲で我慢せずに毎日生活するのがいいなと思った。

「誰でもできる仕事だから給料が安くても仕方がない」みたいな思考をみた。

社会の構造的に誰でもできる仕事は労働力の供給量が多いから価格競争になりやすくて、給料が下がりやすいみたいなのは事実としてあるとしても、それ自体を仕方ないと受け入れてしまうのは社会が生きづらくなるだけでよくないなとか思う。

我慢する人が多いほど社会は我慢する前提で作られるから、みんな我慢せずに生きて我慢しないことが前提となり我慢せずに生活できる社会になったほうがいいなと思う。

仕事をしてお金を稼いでいる理由は生活をするためだったりするんだろうけど、その生活を手に入れるために一度お金を仲介させる必要があるのはシェアするとか他人から受け取るみたいな考えが少ないからで、信頼関係を資本とする文化が弱まって、経済的な価値を資本とする文化が強まっているなとか思った。

誰にでもできる仕事は労働力の供給量が多くて給料が下がりやすいのと反対にスキルが必要な職種は労働力の供給量が少なくなるから給料が上がりやすい。

労働力を売ってお金を稼ぐ場合もスキルがないと給料が安くなりがちだし、経済格差は婉曲的な奴隷制のような側面もあるからスキルがないかつそれを得るための能力が低い場合は生きづらい。

老人になって介護してもらう必要が出てきた場合、老人ホームに入って食事から何まで面倒見てもらうことをまずはじめに考えてしまうけど、お金がない場合でも助けてもらえる場合があってそれが他人との信頼関係がある場合だなと思う。

なにかをする時に経済的な資本を求めてしまいがちだけど、能力が低めな場合は経済的な資本は得づらいから、信頼関係という資本を求めたほうがいいなと思う。

ドライそうな人の内面にも嫌いな人の内面にも少なからず優しい面があると思うから相手の内面のその部分とコミュニケーションを取ったほうがいいし、感情表現したっていいというか他人と仲よくなれるのって感情共有するからだったりするから押し付けない範囲で大の大人が泣き喚くくらいの感情表現をしたほうがいいと思うし、人は疑うよりも信じたほうがいいし、自分のものを積極的にシェアしたりあげたりしたほうがいいし、困っている人がいたら嫌いな人でも積極的に助けるみたいなコミュニケーションをとって信頼関係作っていくのがいいなと最近思う。

植物を育てるように人に水やりをして信頼関係を築くのがいいなと思った。