日曜日、日本酒でだいぶ酔っていた。
お酒の中で日本酒だけはほんと気づかないうちに酔っ払うし次の日に残りやすい気がする。
他人の悩みとか不満みたいなのを聞いた時に相手に共感することはあれど、相手に共感するコミュニケーションをするのもただ辛気臭くて楽しくないから寄り添った発言はあんまりせずに、ふざけたりするんだけど、そういう発言しつつずっと解決策を考えてしまう。
何かしらを問題だなと感じていたり悩んでいたりする場合でもすべて認知的にはその人本人が問題も悩みも作り出しているわけだし、忘れたらいいっていうのが素直に思うこと。
その認識とは別で、人が笑うのはおもしろい出来事があったからだろうし、人が泣くのは嫌な出来事とかがあったからだろうし、そもそも人の内面は価値観も感情も含めてその人が属するコミュニティの文化や社会的な環境から生まれているわけで、個人が自分自身の問題や悩みだと思うことでもそういったものは全般的に社会的なものだとも思う。
認知的な観点で見ると悩みは自分自身で作っているから悩まなくていいし、社会的な観点で見ても悩みは社会から作られるものだから個人としては悩む必要がないもののように個人的には思う。
携帯電話が普及する以前と以後の比較、携帯電話が普及する以前は稀にしか人と繋がれないから生じる感情や悩みも人の中には発生するし、携帯電話の普及以後は常時他人と繋がれるから生じる感情や悩みも人の中に発生する。
具体的な悩みの種類にもよるけど個人が社会的なアプローチで悩み事を解決するのは難しいと思うから、個人レベルでの悩みの解決方法は自分自身の認知、もしくは対人関係での悩みなら相手の認知に対しての認知的なアプローチで解決するという形になると思う。
今日はずっと複数人の人の悩み事の解決策についてずっと考えてしまった。時間が空くとずっと考え事をしてしまう。
基本的に対人関係の愚痴とかを聞くと発言している本人自身にも改善したほうがいい認識があるなと感じることが多いけど、直近聞いた話ではその話をしていた本人に対しては改善したほうがいいのになとうところはほとんど感じなかった。
そういう場合って悩んでいる本人が不満を持つ相手の認識を変える必要があるわけで、相手の振る舞いや発言から相手の中にある認知を想像してどういった認識がそういった相手の振る舞いや発言を作るのかを推測して、その認識を変えるように働きかけなきゃいけないと思うけどそういうのは難しいなと思った。
根本、事実ベースでは人と話し合うことはできないと思っている。事実ベースだとしたらある事象を観測した自分がいるという前提しか存在ないわけでそもそも話し合いにならないし、話し合えるとしたらそこに感情起因の価値観が乗っかっている。
人と不仲になるのはそもそもコミュニケーション不全だと思うし、感情ベースで人と話すことが大事なのかもなって思った。
話し合いで一般常識や法律を持ち出す人は多いけど、そういった規範は大きい社会を円滑に動かすための潤滑油であって、潤滑油を基準として話し合うことがそもそもズレてるように感じるし、具体的な個人間で持ち出すものではないと思った。
怒りは気持ちを蔑ろにされたと感じた時の2次感情だと思うし、悲しかったとかそういう感情ベースで話すのがやっぱり大事かもなと思った。
自分は感情面を両親に馬鹿にされて育った側面もあり、他人に対する感情表現未だに苦手だけど😂💦