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ktk

心が感じる嫌という気持ちをこうしなきゃいけないという思考が抑え込む。

しなきゃいけないことなんてないのに。

本当は今やっている仕事を辞めたいけれど、仕事を辞めるという行為は単純なように思えて、今まで従っていた行動規範を壊すことであり、その行動規範によって今まで積み上がってきたものすべてが脆くなるように感じる。

何もない他人を受け入れることができない自分を写す鏡のように何もない自分も受け入れられない。

孤独を感じてしまうのは自分自身が他人を拒絶しているからであって、あなたに興味はありませんという見えない壁を作っている。

何かに価値を感じているのは心のほうなのにそれを思考で抑え込むことによって虚無になる。

心を抑え込むことによって得られたものはあるけれど、心がないので虚無であり、思考で抑え込むことを辞めたいけれど、それによって積み上げられたものも壊せないし、何もない自分を受け入れられない。

他人を判断する時の基準は自分自身にも当てはめてしまっているわけで、何もない自分を受け入れられないのは何もない他人を否定しているからであって、どれだけ嫌いな他人に対しても相手がとても困っていたら手を貸したほうがいいわけで、困っている人に親切にすることは利己的であり自己受容。

 

om

最近けっこういろんな人と話していた。

人と関わるのがそこまで好きじゃないかもという自認があったから一昨年は群馬に住んでいたし、去年まで家でずっと仕事とスプラばかりしてあまり他人と関らずにほぼ引きこもりみたいな感じの生活だった。

その反動なのかわからないけど、最近よく誰かしらに会っていてそこそこ仲のいい知り合いもわりと増えた。

いくかの具体例を見てそれを一般化した法則やパターンとして認識することが学習をするということだと思うけど、これはバイアスを作ることでもあって一般化するための具体例が少ないと間違った認識を持ってしまう。

人と関わるのがそこまで好きじゃないという自認があったけどこれは実際のところ他人と会話してても楽しくないと感じてしまう比率が高いから持ってしまった認知だなとか思った。

最近どんな人と話すと楽しいのかを考えながら他人と会話したりしているんだけど、高学歴寄りな人は発言に納得感があることが多いから話していて楽しいと思うことが多いし、ASDチックで他人に興味なさげな人もわりと共感するから話していて楽しいと思うことが多いし、ノリとかフットワーク軽い人も刺激があるから話していて楽しいと思うことが多いし、すぐに人のこと馬鹿にしない人とか他人に気が遣える人とかも他者内面に対する想像力が高そうに感じるから話していて楽しいし、感情表現が多くて主観的に話す人は自分との感覚差があって話していて楽しいことが多いなとか思った。

このあたりの感覚を拾っている気がした。

逆にいうと相手の発言からわかる思考とその理由に納得感がない場合とか、他人からどう見えるかを気にしすぎな場合とか、人のことを下に見てる人の想像力のなさとそれに気づけない認知能力の低さがある人と会話すると「人と関わるの嫌いかも。鬱!」みたいに思う。

まあ想像力って経験で養われるものだと思うし仕方ないか。自分にもそういう面あるだろうし。

まあその他も人によって能力差あるだろうし仕方ないかみたいなことを考える。

恋愛したい人を最近ネット上で見たんだけど、恋愛も対人関係だからそもそもこれまで生きてきて同性の友人が少ない人は仲よくなれる可能性のある異性の数自体も少ない可能性が高い。

そういう友人がそもそも少ない人が十数人程度の異性と会ったけどうまくいかなかったという認知を持つこと自体、当然のことのように思うし、もっと出会う人数を増やさなきゃいけないんだろうなとか思った

個人的には恋愛願望あまりないんだけど、本能的な部分と思考的な部分を切り離してしまっているところがあるから性欲満たしたいなら風俗行けばいいし仲よくしたい人は仲よくしたい人で別だなとか思った。

一致することはあるんだろうけど、そもそも話していて楽しいと感じる絶対数が少ないから仕方ないなとか思った。

 

 

 

nk

今月末に友だちに引越しの予定があるらしかったけど、引越し業者が空いてなくてその友達は自分で引越しをすることにしたみたいだったから、その友だちの車の運転の練習がてらにドライブしにいった。

わりと長時間車の助手席に乗って話をしていたんだけど、友だちの話のほとんどが『引越ししたくないな』という話だったから、そんなに引越し嫌かなとか思った。

そう思った時にそう思った理由を考えてしまったんだけど、そもそも自分は小さい頃から転勤族だったから、親が家を買った中学生までは2年に1度は人間関係がリセットされていたし、人との関係性において継続するみたいな意識があまりなくいつか切れるまでの関係性みたいな認識があるなとか思った。

数年前にわりとふらふらしていた時は2〜3ヶ月おきくらいにはじめて行った地域で初対面の人たちと仕事をするみたいな感じで働いていて、その時に会った人にその話をしたら『すごいな』って言われたことあるんだけど、これって今思うと環境を変えることに対しての抵抗のなさに対して言われていた発言だったのかなとか思った。

土着するみたいな感覚がある人からするとその感覚がない人が不思議だったんだろうな。土着する感覚がない側からするとそう言われること自体が不思議だったんだけれども。

その友だちは国家公務員で2年おきに転勤する可能性が高いんだけど、話している時に『15分後に片づけなさいと言われることがわかっているのに、積み木で遊んでいるような感じだよ。マジでクソだな。』みたいなこと喋っていて、あーなるほどと思った。

自分はこの感覚がデフォルトだったから環境変わって人間関係もリセットされるのが嫌だなみたいな感覚が少ないんだけど、ずっと同じ地域で過ごした場合この感覚がデフォルトなのかとやっと気づいた。

人との関係性って植物に水をあげるみたいに育てていくものだと思うんだけど、リセットされるのがデフォルトの場合はどちらかというと有り合わせのもので料理を作りましたって感じになる。

人間関係がすぐ切れることは固定化した関係性に縛られないというメリットもあるし、そういうメリットも自分自身の価値観に影響しているんだろうなとか思った。

引越しが多かったことから発生した価値観含め、自分の思考の発祥地を考えることをわりとしてしまう。

 

友達の話に戻るけど、今は社会的にはまだ若いと言われる年代だから新しく関係性をつくるのはそこまで難しいことではないだろうけど、地方になるにつれて人間関係は固定化されていくだろうし、年を重ねるにつれて人間関係は固定化されていくだろうから、数十年後とか歳をとって地方に飛ばされた場合って大変だろうなとか思った。

 

友だちとばいばいして返ってから最近よく行く大宮のお店に行きたくなった。

最近、お金使い過ぎているから少しだけ行った。

指名している女の子がいるんだけど、指名被りでその女の子が抜けたタイミングで別の人が席についてくれたんだけど、血液型の話になった。

女性がいるお店に行くと体感3%くらいの割合で血液型の話になることがあるんだけど、血液型の話とか占いの話が個人的に一番興味が湧かない話だったりしてとてもつらいとか思ってしまった。『白い服を着ているんだ!明るい性格なんだね!私も白い服だから気が合う!』みたいな会話をずっとしているような気分になる。

こういう類の会話の比率が高い人の場合って内容がどうこうというよりは一緒に踊って仲よくするという行為の代用として言葉を使っているんだろうなという認識が最近あるんだけど、やっぱりこの類のコミュニケーションは苦手だなと思ったりするのはそもそも他人と仲よくすること自体にはあまり興味がないという内面が自分の中にあるのかなとか思ったりする。

『自慢話ばっかする人嫌いなんだよね』と自慢話ばかりする人が発言してしまっているようなメタ認知能力の低さってあると思うんだけど、こういうわかりやすい例とかではない場合も含めてこういった認知能力の差を相手との間に感じると話すのがけっこうつらいなと思ってしまうことがある。

けっこういろいろ考えてした発言なのにな....みたいな....

ことを思ったりしたけど、指名の女の子(※Twitterのフォロワーにいる)が戻ってきてあーよかったって思った。

異性の外見の好みってみんなあると思うけど、最近それと同等かそれ以上に内面的な好き嫌いがあるかもと思うようになった。

具体的に言うと人と会話する時って相手にどんな認知があるかと、相手の認知の中では相手は自分の認知をどんな認知だと思っているかと、相手が相手となる自分の認知をどんな認知があるかと思っているかみたいなこと考えて話すと思うんだけど、会話をしていてこれが手前で止まっているかのように感じることがあって、その能力差を感じる時に話していて一番もやもやしてきてつらくなってくるなとか思ったからこの能力だけは対等にある人が好きだなとか思った。

 

 

inori

人に何かをプレゼントしてあげる行為ってその人に対するお祝いだ。

プレゼントに見返りを求めた途端にタイムラグのある契約行為かつ相手に債務を与える呪いになってしまう。

プレゼントは相手に見返りを求めずに行わない限り、贈与する側が債権を得る自分自身のための自己満足的行為になっている。

他人を呪わないためにも他人から呪われないためにも、自分がしてあげたことは返してもらおうと思わないほうがいいし、相手にしてもらったこともお返しをしようと思わないほうがいい。

その人の存在が自分にとって嬉しいならあげればいいし、そうでなければあげなければいい。

そんなことを考えていたらお金を貸しているのもその人が好きだから貸してるんだし、現状返せなそうだし返してもらうのも辞めようと思った。

好きなものがたくさんある世界か好きなものがあまりない世界のどちらが自分にとっていいかというと好きなものがたくさんある世界のほうがいいはずで、自分が好きだと思う人が自殺せずに生きててよかったと思えるように相手に対する好意とお祝いの意味が含まれるのがプレゼントの本質な気がする。

 

他人にはしてもらうよりもしてあげるほうがいいなと最近思えるようになってきたんだけど、その理由はしてもらう側は他者の価値基準で評価されているのに対して、あげている側は自己基準で価値を感じているからであって、してあげる側こそ自ら価値を感じて生きているんだということに気がついた。

金銭換算して物事を考えてしまうこともそうだけど、他人からしてもらうことばかりを意識してしまうことも世界に対して主体的に価値を見出せていないということだと思う。

 

価値というものが相対的なものだということはすごく意識したほうがいいことだと思っている。数億円するアート作品の市場価値と主観的な価値は切り分けたほうがいい。

高額で取引されるものが高額で取引される理由はお金を持っている人が買うからで、お金を持っている人がそれを買うのはざっくりとコレクター的な趣味の要素と資産になるからという要素があると思っている。

お金は数値でありお金の市場価値は上下するものだからお金を持っている人ほどお金よりもそのもの自体に価値のある換金性のある現物に変換して所有するんだろうけど、そういう観点で資産性のある芸術品に価値が生まれる。

マニアックでコレクター的な趣味のある富裕層の売買は短期的だと思うから無視をするとして、資産として芸術品を考える場合に必要な要素は市場価値が下がりづらいことと換金性であり、換金性があり市場価値が落ちづらいものの特徴は普遍性だなと思う。だからウン年間のアートの歴史の中の特異点みたいな作品に高額でやり取りされるような市場価値がつくんだろうなとか今なんとなく思った。

インターネット技術の発展と普及によって動画投稿の広告収益で生活できるようになった時代の流れの特異点が日本の場合はヒカキンにあたると思うんだけど、アートの場合もこんな感じの特異点の作品に市場価値がつくんだろうな。

普遍性で思うことだけど、音楽についてJPOPみたいに歌詞が入っている曲はクラシックとかと比較して普遍性が下がるから人の生活が数千億年続いた場合、クラシックみたいな曲は残り続けてJPOPは消えていくのか、それともJPOPの歌詞は消えてメロディだけ残り続けるのかなみたいなことを思った。最終的にはAIがリズムだけを抽出して既出でない新しいパターンの音楽を作り続けるのかな。

話が逸れたけど、生活していることの価値は他人から与えられるものではなく、自分で感じるものにしたほうがいい。

さらに話は戻って贈与の話なんだけど契約型の贈与は二者間での債務・債権関係であり、祝福型の贈与は二者間の関係は薄く受け取り主と贈り主が異なり、巡り巡ってくる循環型の贈与であり世界に対する主体的な価値づけだなと思った。

騙されないことを賢さだと思っていたけど、騙される可能性があるとしても信じてあげられるのも賢さだし、自分の判断に自信があるのが賢さだと思っていたけど、謙虚でいられることも賢さだなと思う。

何かに対して祈るというような行為を無駄だと思っていたけどそんなことはなく、日々の生活は表現であり祈ることはクリエイティビティだ。

楽しく生活できますように。

 

mtl

金土日の3日間全部、当日に急に友だちを誘ってご飯に行った。

人と会うのはメンタルにいい。特に仲がいいというか自分がリラックスした状態で関われる人と会うと癒される。

最近日々の自分の行動を自分自身のメンタルにとってよかった・悪かったみたいなことを分析しつつ生活をしているんだけど、昨日と同じことを今日も考えるという習慣が思考が澱んで憂鬱になってくることに気づいた。

一人でいると自分の関心で情報がフィルタリングされてしまい思考が澱む。他人と会話することによって自分にとってはノイズとして処理されてしまうような情報が相手の感覚で濾過された情報となって受け取れる。昨日感じた憂鬱さを今日も感じて反芻してしまうのは他に意識が向く情報がないからで、他人と交流することで新しい情報が入ることで憂鬱さを反芻する回数が減る。

今月になって本を3冊くらい読んでいたんだけど、本を読むという行為も新しい情報が入るという点で思考が澱みにくくなるからメンタルにいいなということに気がついた。

他人との会話から得られる情報と比較するとその人の熱量とか感情とかそういった五感から得られる感覚が読書では弱いから会話と比較するとメンタルにいいのは会話>読書って感じがするけど、読書もそこそこメンタルにいい。

一番メンタルにいいのは未知のことをすることだと思うんだけど、一人で未知のことをしようと思った時って自分の知っている範囲内のことで選択することになるし、その場合って完全に未知になることはないから、思考が澱むことの対策として他人と会話する>新しいことする>本を読むみたいな順にいい気がした。

知らない情報はGoogle検索できないから思考が澱まないように未知さを求めるほど他人と会話するのがいい。

『同質な複数の人間ばかりと時間を共有すると自分の中に彼らの無意識が入り込んできてしまう』みたいなことを昨日友だちと少し話した。

友だちは少し違うニュアンスで言っていたんだけどこれは自分も最近感じていて、自分の仕事がWEB系エンジニアなのもあって交友関係の割合でエンジニアの人の割合が増えた。

あの人は陽気な人だと言われるような人が陽気でいられるのは陽気でいられるという周囲の環境があるからで、その人の固有のものといわれるような性格もその人に属するタグではなく、環境によって表面化されたその人の内面の一部だと思うんだけど、そういうのと類似したような感じで思想も固有のものではなく周囲の環境によって無意識のうちに入ってきてしまうもののように感じる。エンジニアに囲まれることによって物の見方とか価値観が無意識のうちに自分の中に浸透して固定化されてしまいそうに感じてもっと多様な人と接点を持ったほうがいいなと思っているんだけど、他の職業についている人たちと比較してエンジニア職についている人たちと会話するほうが個人的に話していて楽しいと感じる比率が高い。そう感じてしまっていることがもうすでに同質な思考で固まってしまっているのかなとも思った。

思考が澱むということに対してのメンタル対策が上記なんだけど、『お酒を飲まない』『長時間寝る』『少しきつめの有酸素運動』が単純になんとなく気分が良くなるなとか思った。お酒に関してはお酒そのものがメンタルに悪いというかはお酒を飲むと睡眠の質が悪くなって寝ても回復しない感じがするから自分には良くないなとか思った。

人と会話するのがいいなと思いつつも人とコミュニケーションをしていて楽しくなかったと感じる比率がわりと高いから、どういった点をポジティブ・ネガティブに感じるのかや、どういった話に持っていくとポジティブな感情が湧くのかなみたいなことを考えたりするんだけど、このへんの精査がうまくできていないなとか思った。

 

slcm

人と会話しながらどういう点に刺激を受けて楽しいと感じているのかなみたいな自己分析しながら会話をしていたんだけど、結果他人と感覚が通じ合った時が楽しいのかと思った。

逆に言うと通じなかったなと思う時が楽しくないと思う時。

スプラトゥーンってゲームをしている時、基本的には「カモン」と「ナイス」の2種類でコミュニケーションするしかないんだけど、表現方法が2つしかないのに意図が伝わることがあってそういう時に本当に楽しいなとか思う。

そう考えると言葉によるコミュニケーションは1000種類かそれ以上表現があるのに伝わらなかったと感じるのは不思議だなとか思った。

言葉でコミュニケーションをして通じなかったなと感じる場合でも、2パターンで上手く伝わった時と比較すると確実に言葉でコミュニケーションをしてうまく伝わらなかった時の方が相手との共通認識を作れているだろうに、通じないと感じてしまうのは表現方法が豊富だからこそそれに比例して通じると感じる水準が高くなっているんだろうなとか思った。

言葉でのコミュニケーションは直接的な表現の比率が高いローコンテクストな発言と共通認識が含まれたり間接的な表現の比率が高いハイコンテクストな発言があると思うんだけど、感情が含まれる会話をする時は発言に含まれるハイコンテクストな表現の割合が単純に情報伝達をする場合と比較すると高くなって内面と発言に乖離が発生するんだけど、そういった内面と乖離した発言のコンテクストを読み取ってもらえた瞬間に通じたと感じるからそういう人が好きだなとか思った。

コンテクストがあって表に出た発言だからアウトプットとしては内面を表現する言葉だけど、文字通りに受け取られた場合、意味がけっこう異なってしまうというコミュニケーションになる。

略歴

 


1992 誕生。

 

2010 高校卒業後、浪人。

 

2011 大学数学科入学・中退

 

2012 コンビニ店員

 

2013 プール監視員・カメラマン・ホテルスタッフ

 

2014  派遣労働者、詐欺に遭う・テスター

 

2015  カメラマン

 

2016 測量補助・デザイナー・データ入力

 

2017  工場作業員・土木工事・デザイナー・点検業務

 

2018  造船鳶・防水工事・内装工事・機械工・塗装工事

 

2019  土木工事・塗装工事・電気工事・板金工事・軽天工事・入院する

 

2020  荷揚げ・ガラス工事・除草作業

 

2021  モバイルエンジニア

 

2022  モバイルエンジニア

 

 

Instagram https://www.instagram.com/qamtp_/

Twitter https://twitter.com/qamtp2

 

 

好き

 

スプラトゥーン

 

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